天井席が落ち着くんです。

ジャニーズなり何なり。妄想話も。

花屋に郁人はいなかった。

千葉のヤンキーをしていると、感謝の気持ちを人に伝えることをたまに忘れてしまう。
だから今回はちゃんと伝えようと思った。
どんな時も心配してくれる祖母に。
生まれてからずっと面倒を見てきてくれたし、運動会は欠かさず来てくれた。A.B.C-Zも一緒に応援してくれている。そんな元気な祖母だって、もう84歳になる。

「ねえ 永遠に続くものなどないのだと君は呟くけど」

ついこの間、曲を聴いて思った。
そうだよな、いつまでも元気でいてくれるわけじゃないんだよな……。最近は寝ている時間も増えてきたし膝も痛いとボヤいていたのも知っている。
ちょっとの見栄で、ツンとした態度を取ってしまうから祖母からはあまりよく思われていないとは思うが。
孫としては、心配なのだ。

千葉のヤンキーは案外素直である。
案外ね。見た目チャラい。
でもアホなために、人を喜ばす術を知らず、うんうんと悩んだ結果、好きなものを聞くという1番あかんやつをやってしまった。
以下、会話文。
私「おばあちゃん、花って好き?」
祖母「好きねえ」
私「おばあちゃんは何の花が好きなん?じいちゃんのも知りたい。」
祖母「私はカーネーション、じいさんはー……死んでるからどうでもいいけど百合が好きかな。」
ババア、なんと旦那をどうでもいいポジションに置いていた。
そんなこんなで、緊張しながら花屋に行ってみた。
……郁人くんいねぇじゃん。
お昼に行ったのにイケメン療法士もいねぇ。
現実は厳しい。
私「百合と……カカカ、カーネーション1本ずつ下さい。(^_^;)」
もう汗びっしょり。
想像してみてほしい。髪型が塚ちゃん、服のテイストははしちゃん、声の低さがとっつー。
花屋で浮くに決まっている。
千葉のヤンキー、案外ビビリだからいちいち驚く。
店員「リボンの色は何色にいたしますか?」
私「あ、あおで………。」

そんなこんなありつつ、無事受け取った花束。そして帰宅。
祖母が帰宅したのを見計らい、
「はい。初任給少なかったからこんなんで。ごめん。ありがと。」
千葉のヤンキーはこれが限界。

するとまぁ、なんということでしょう(ビフォーアフター風)
祖母が泣き出した。
「初任給使わせちゃってごめんね」だの言ってたけど、いいんだよ。
たまにはありがとうって言いたかった。これからもよろしくねって、言葉じゃ伝えられないけど、花なら伝えられる気がしたから。

そんな祖母の悩み事。
A.B.C-ZのDVD見るたびに、郁人のソロアングルが少なくて探すのに大変だということ。
これからも、一緒に「ふみくん」を見続けよう。
(ファンレター出すくらいの強火担)

母親がドッキリで泣いた。

はしちゃんは優しい。どんな時も。
それを証明したのが、2枚目のアルバム「A.B.Sea Market」の初回版Bについてくる特典映像のドッキリ企画だろう。この企画は、メンバーの本性を暴こうという目的を持って行われた。橋本は優しさを試され、五関は自己の強さを試され、塚田は人間性を試された。その中で今回書くのは、橋本に仕掛けられた、優しさを試されるドッキリである。

母親は根っからの塚田担である。空回りしちゃうけどそこが人間としていいところなのよ!と、普段から台所で叫んでいる。私が塚ちゃんと会った話をすれば、
「ああ〜〜〜〜〜〜〜」
と、家事を放棄してゴロゴロ転がりながらグッズを抱きしめるほど塚ちゃんのことが好きなのだ。
そんな母親が、はっしーのドッキリ企画で泣いた。
(以下ネタバレあり)
始まって数分、小銭を落とす女性。ひとつひとつ丁寧に、笑いかけながら拾うはっしー。
「や、優しい……」
隣で母親が目を見開いていた。
今までイカツいイメージしか持ってこなかった母親は驚いていたのだ。
次に、腹痛の男性を助けるシーン。
すぐに背中を差し出すはっしー。少しでも動くとダメだと言う男性に対して、すごく焦りながらもどうしたらいいか頭フル回転で考えるはっしー。
「えぇー!優しいじゃん!」
母親はもう釘付けになっていた。

はっしー、もう愛のかたまりじゃなくて優しさのかたまり歌ってよ……(※そんな曲ありません)

男性に何度も声をかけながら、焦りながら、最善の策を探して目の前の人を助けようとするはっしーは立派な優しい男の子だった。イカツい男の子ではなかった。
そしてついに時は満ちた。
お姫様抱っこ!!!
そしてトイレまでついていき、そこで待つ人の良さ。
隣の母親が静かになったと思った。
泣いていた。……んん?え?はい?
「こんなにね、優しい男の子が……素直で……いてくれるとは思わなかったの……」
感動したらしい。母親とは約30歳も違う男の子。そんな子が、こんなにも優しく、素直で、A.B.C-Zの中にいてくれることが嬉しかったと。
そうだね、優しすぎるから週刊誌に撮られるときもあるし、素直すぎて気持ちが顔に出てるときもあるね。
けれどそれも含めて、うちのセンターは素敵だぞ!と胸を張って言えるように、ヲタクとしてやっていこうと思えた日。

はっしー、私の母親はね、ずっと泣けてなかったんだよ。子育てや、仕事が忙しくて。泣く暇なんてなくて、今になってもあまり泣かない。私がしっかりしなきゃと思うんだろう。そんな母親を泣かせてくれて、はっしー、ありがとう。

ちなみにそのあと母親は塚ちゃんの人間性を試すドッキリで崩れ落ちていた。
「そこは優しくなろうよぉ〜!!!」
って。

バニラの香りと夢で逢いたい。

最初、怖くて仕方がなかった。
言葉遣いがヤンキーだし
クイズの解答台を壊すし
どこかチャラい。
だからかA.B.C-Zを好きになっても、1人だけ好きになれなかった。

けれどそのイメージは裏切られた。180度反対に。
まあ、振り付け見たいし行きたいな……程度の気持ちでチケットを取ったハシツアーズ。登場した時から何故か視界が滲んでよく見えなかった。

こんなに歌がうまいんだ。
こんなに優しいんだ。
こんなに笑顔が素敵なんだ。
こんなに面白いんだ。
知らなかった。
手を差し伸べると触ってくれる。
1人1人のファンの声にちゃんと答えてくれる。

どうして私はこの人をちゃんと知ろうとしなかったんだろう、と
この時ようやく後悔した。
ライブの後半は、ほとんど記憶がない。覚えているのは可愛い女装とバニラのような甘い香り。

橋本良亮という素敵な人をやっと知ることができた、とある夏の日の物語。

私がA.B.C-Zにはまったわけ。(後編)

そんなこんなで、音楽というもの自体から離れていった。

しかしV6からは離れられなかった。ご丁寧にも三宅の健ちゃんがMCに字幕をつけていてくれたからである。

これに関しては三宅の健ちゃんに菓子折りを贈呈したい気持ちでたくさんだ。2歳の頃からジャニヲタをやっているがこんな配慮をしてくれるグループは見たことがなかった。


ここからが重要である。

暇なのでV6関連を掘り返していくと、

「アクロバットなんてA.B.C-Zに任せればいいんだよ」

という発言があった。

はて、A.B.C-Zとは???

検索して衝撃を受けた。衝撃すぎて耳が治るかと思ったレベルである。

第一印象は、

五関晃一→老けてる

塚田僚一→オカマバーにいてほしい

戸塚祥太→君しっかり生きて

河合郁人→鼻のホクロが父親と同じ位置にある

橋本良亮→いろんな意味でセンター


である。

その後、某音楽番組でA.B.C-Zを観てだんだんと沼にはまっていった。

聞こえなくても口を大きく動かすことで唇を読めるし、体をいっぱい使ってパフォーマンスするので見て楽しめるのである。

全員が揃いも揃ってアホなのも可愛い。しかしアホのなかに個性が溢れている。ああ、ハマったのだなと思った。

2014年に耳は落ち着くものの、完治宣言などは出ず大きい音のするところへは行けないということで現場は諦めた。

2015年もそうであった。ムカついて自転車に乗ったら自転車から落ちた。痛かった。そのことにさらにムカついたので道路で前転をしてみた。痛いことに変わりはなかった。

2016年の2月、ようやく完治宣言。

低い声は聞こえづらいがその他はほぼ問題なし、といったところらしい。喜び勇んで後輩とバスケットボールをしたところ、後輩からのパスで剥離骨折をしたのは青春の良き思い出である。今もたまに痛む。

そして運はやってくるものである。

なんと4月13日の野球大会が当たったのだ。行ってみたら天井席(ガチなやつ)だったが。生のA.B.C-Zが可愛くて仕方なかった。勝手に感動して花言葉で泣いていた。好きだ、と思った。


ちなみにバスケで私が剥離骨折させられた後輩というのは、塚ちゃんを尊敬するスポーツマンであり、現在私の彼氏を務めている。

はっしー並みに日本語がおかしく、とっつー並みに行動が読めないが愛いやつである。


現在のA.B.C-Zの印象はこうだ。

五関晃一→神。すげえよ……すげえよ五関様……。

塚田僚一→ハァ〜天使だなぁ!この世に天使っているんだなぁ!

戸塚祥太→美形よ、生きろ

河合郁人→静止画の帝王ぱない。

橋本良亮→かわいい。かわいい。かわいい以外言いたくない。デストロイでも7かける1が1でもいいよ。かわいいよ。


長くなったがこれがA.B.C-Zにハマるまでの私の歴史である。


全編終わり

私がA.B.C-Zにはまったわけ。(前編)

いきなりはてなブログを始めてみた。理由はない。


内容が割と長め、しかも重くなるであろうこのことを最初の記事にするのは戸惑われたが、気持ちが抑えきれなかった。許してほしい。


では本題へ入ろう。

私がどうしてA.B.C-Zにはまったか。

それは2013年12月にまで遡る。

その頃私は高校生で、吹奏楽部員であった。……もっぱらパフォーマンス要員だったが。


おっと話が飛んだ。そんな12月のこと。私は1人の大切な友人を亡くした。中学生のときに出会って以来、ジャニーズのことで盛り上がれる唯一の友人であった。通っている学校と友人の家、そして自宅が近かったため、死亡した知らせを聞いて雨が降るなか学校を飛び出した。


ビショビショになって、自分も一緒にそっちにいってしまいたい。


心の中は悲しみよりその気持ちが占めていた。友人の家の前に着いた時、制服も何もかもが濡れていた。警察官に励まされてもそんな言葉は耳に入らなかった。記者が私の元へ寄ってきても、全て無視した。冷たい雨が降りしきるなか、私の涙だけが暖かかったことを今でも感覚で覚えている。

その4日後のことだった。

休日練習のために起きた瞬間、右耳からショートしたような不思議な音が聞こえた。予習のために練習曲を聴いたのだが、どうも音感が狂う。もしや、と思った。

病院に行った結果は、突発性難聴だった。左耳は辛うじて聴力の低下でおさまったものの、右耳は音をなくしていた。

\(^o^)/この顔文字を友人らに送りつけたことを覚えている。\(^o^)/ 


2週間の入院が終わり、悲しみが癒えないまま私は好きなアーティストの番組を観る。しかし、楽しめない。音声中心のパフォーマンスだからである。字幕が出ても、口を下に向けられたら何もわからない。

\(^o^)/コイツの再来である。


前編終わり