天井席が落ち着くんです。

ジャニーズなり何なり。

忘却と記憶の狭間。

今回書く記事の中には「死」に関連することが記述されています。
苦手な方は閲覧を控えていただきますようお願い申し上げます。
では。

誰にでも、忘れてしまいたいことはあると思います。
例を挙げるとするならば「黒歴史」と呼ばれる類のものでしょうか。
しかしその逆。忘れたくないこともあると思うのです。
友や故人との思い出、綺麗な景色。

人間は、忘れていく生き物です。
どんな楽しい出来事も悲しい出来事も時間が過ぎていくにつれ、自然と思考を占める割合は少なくなっていきます。
その中で私は今一つの葛藤と闘っています。
それは「故人の遺言」についてです。
私は高校1年生のとき、大切な人を亡くしました。
その故人は生前「ドラムかっこいいからずっと続けてね」と言っていました。
亡くなってすぐはその人のことが頭から離れずに忘れることもありませんでした。
でも月日が経ってみるとどうでしょう?
なんと、日々の中で思い出すことは少なくなっていたのです。
人は忘れる生き物ですから。
「大好きなあの人のことを、私は忘れたくない!」
そう思った私は生前彼女が言った通り、ドラムを続けました。
ドラムを見れば、彼女を思い出せる。
叩いていれば、続けていれば、彼女を忘れることはないんだ。
そう思っていました。
確かにそれは正解でした。
ドラムを見るだけで彼女を思い出して、忘れたはずの小さな会話も再現することができました。
「ドラムが楽しくない」
そう思い始めたのはその頃でした。
私は誰のためにドラム続けているのだろう?
今、なんのためにドラム叩いてた?
彼女を忘れたくないがためにドラムを続けている自分に気づきました。
忘れたくないがために、呪縛のように遺言で自分で自分を縛りつけていました。
お前はドラムを続けるんだ、忘れないために、と。

忘れるのが怖い。
そりゃあ誰だってそうです。
でも、君の気持ちは?
自分に聞いたならきっとこう答えることでしょう。
「ドラムを見るたびに思い出せるから最初は嬉しかった」
「けれど、自分のためにやっているドラムが忘れないための道具になっている」
「今はドラムを見ることが苦しい」

『忘れたくはないけれど、縛りつけられたくはない!!』

そうです。それでいいんです。
人は忘れる生き物です。
でも、完全に忘れることってないんだそうです。(医者談)
匂い、色、音、物、景色、何かしらのものからフラッシュバックして思い出せるそうです。
忘れたとしてもそれは0に戻ることではない。
記憶として脳の奥にきちんとしまわれている。
それならもう、無理をしないで自分の好きなことと向き合おう。
そう私は思いました。

決してその人のことを忘れるわけじゃありません。
自分が自分らしく生きるために、その思い出と決別するんです。
故人にとっての1番の供養は、残されたものが笑っていることだとどこかで聞きました。
それなら私は今まで供養とは程遠い姿を見せていたんだなと思い、少し申し訳なくなりました。

忘れたとしても記憶となって残る。
暇つぶしにアルバムを開けば、片隅にふと見つけることだってあるでしょう。
これからは自分の好きなドラムを自分なりに続けたり、別の趣味を見つけてみようと思います。
それともう一つ。
思い出したいときには、思い出しながらその人のために叩いてみようと思います。
カッコいいと唯一褒めてくれたドラムを。

彼岸花を見て思い出したことでした。